キャリア視点でも学びある「大人は萎縮した子ども」の考え方

こんにちは、ストラボ代表の小木曽です。

劇作家キース・ジョンストン曰く、多くの教師は子どもを「未熟な大人」と考えがちであるが、大人を「萎縮した子ども」と考えることで、より良く、よりリスペクトある教育になるのではとのこと。子育てにキャリアにも通じる。大人を萎縮した子どもとは深いですね。

子どもをどう見るか、大人をどう捉えるか

多くの場面で、子どもは「まだ未熟で知識も足りない存在」として見られがちです。もちろん、経験の蓄積や判断力の成熟という意味では、大人のほうが進んでいるケースも多いかもしれませんが、それは本質ではないのかもしれません。

ジョンストンの指摘の本質は、「大人は子どもから失ったものがあるのではないか」という問いです。

例えば、好奇心。想像力。無邪気さ。率直さ。

これらは、ある意味で「未熟」とされがちな性質ですが、一方で創造性やリーダーシップにおいて非常に重要な要素ともいえます。

「萎縮」はどこから来るのか

私たちは社会に出て、様々な経験を積むなかで、次第に「こうあるべき」「こう振る舞わねばならない」という「型」に合わせて生きるようになります。それ自体が悪いとは思いません。人間は社会的な動物なので、DNAレベルでも染み込んでいるのは進化心理学の観点でも言えるかと思います。

一方でいつのまにか、その「型」が自分の心や行動を制限し、「動けない自分」「無難に流れる自分」「失敗を恐れる自分」へと変化させてしまっている事実もあるのではと思います。

キャリア設計にも応用できる視点

この言葉は、キャリアを考える上でも参考になると思います。大人になると「失敗は悪」「キャリアは積み上げ続けるべき」「ブランクは避けるべき」といった固定観念に縛られがちです。しかし果たして本当にそうでしょうか?自分の中にある「やってみたい」「試したい」「わくわくする」等の感情に素直になることも、一度きりの人生を自分らしく生きる上で大事な軸であり、実は「子ども時代の感覚」こそがヒントになることが多々あるのではと考えさせられます。

子どもの頃の自由と好奇心を大切に

「大人は萎縮した子どもかもしれない」と思ってみる。その視点に立つと、他人へのリスペクトの持ち方も、自分への期待の仕方も少し変わってくるかもしれません。

キャリアに迷った時や上司や部下との関係に悩んだ時、そんな時にこそ、もう一度「自分の中の子ども」を思い出してみるのも一案かもしれません。

  • 何に夢中だったのか
  • どんなことにワクワクしていたのか
  • 何を見て驚き、笑っていたのか

ふと思えば、常にチャレンジを続けるサッカーの本田圭佑選手がACミラン入団の記者会見でリトルホンダに言及されていましたね。改めて自分の小さいころを思い出してみることが、次の一歩を踏み出す大きなヒントになるかもしれません。

私自身も、自分の中の萎縮している要素を少しずつ解放して、人に迷惑をかけない範囲で、もっと素直に、もっと自由に、生きていきたいと思います。