セネカ「怒りについて」から学ぶアンガーマネジメント

こんにちは、ストラボ代表の小木曽です。

人間生きていれば、時折驚くほど失礼な人に出会うことがあります。ありますよね??無人島に住んでいない限り、経験のない人はいないと思います。職場、取引先、学校、電車の中、飲食店、役所、病院、休日の公園、例を挙げれば枚挙に暇がないでしょう。

日本だけでも約1.2億人いるため、仮に100人中5人の割合と低く見積もっても600万人はいます。もはや避けて通ることはできません。そんな時に自分がどう対応するか?それが私たちの生活を豊かにする上で重要と言えそうです。

2000年前に怒りを突き詰めたセネカ

そんな時は巨人の肩に乗るのも一案です。今回は、約2000年前に怒りについて深く突き詰めて考えていたセネカの考察をご紹介します。セネカの名著「怒りについてから個人的に響く内容を抜粋しました。

怒る人は内心怯えている

怒っている人は理性よりも感情に支配されている状態なので、彼らが言ってる内容を聞くと「いや、それ普通に考えておかしいでしょ」と思うことが多々あります。都合よいところだけ取り上げて、高圧的にまくしたてるタイプの人、心当たりありませんか?そんな時はセネカのこの言葉を思い出しましょう。

怒れる者の言辞を信じずべき理由はない。
たとえその声音が大きく、威圧的でも。内側の心は怯え切っている。

あぁそうなのか、この人内心では怯えているんだな、そう思うとなんだか可愛らしく思えて、「まぁ、いっか」と少し気が楽になります。そんなシーンに出会したら早速思い出してみてください。

怒る人は感情に支配され支離滅裂

また、セネカは怒りについて次のように考察しています。

怒りは同じあり方を保つことが全くない。あるときは必要以上に走りすぎ、ある時は然るべき場所より手前で止まる。己に甘く、欲望に従って判断し、聞き入れる耳を持たない。弁護に場を与えず、一旦下した決定を消して変えず、自分の判断が自分から奪われるのを、例えそれが間違っていても、決して許さない。

最近、腹が立った人を思い浮かべてみましょう。まさにその方はこの怒りの状況に陥っていると感じませんか?そう考えると気づきますよね、相手にするだけ無駄だと。対応は至ってシンプル。聞き流す、放置する、その場を離れるが妥当でしょう。

逆に、良くないのは相手と同じレベルまで自分を下げてしまうこと。話せばわかる?いや、話してもわかる相手なら、そもそも違和感を持つ言動や行動を取りません。可能な限り二度とかかわらないように距離を置きましょう。

ちなみに、セネカではありませんが5人の法則の考え方も参考になります。

5人の法則(参考)

皆さんは「5人の法則」をご存知でしょうか?「自分の周りにいる5人の平均が自分になる」という考え方です。その構成要素の一人に、その類の人を入れないのは勿論ですが、5人に入らなくても、あまり遠くにいない、比較的近くにいる状態でも気を付けた方がよいでしょう。時間は有限です。関わる人を選んで怒りに対するストレスフルな状況の発生回数を最小化する予防の視点が豊かなライフスタイルを送るポイントのひとつといえるでしょう。

セネカ式対応

セネカに話を戻しまして、セネカはどのような対応を取るのか?に関していくつかセネカの考え方を抜粋します。

復讐のうち最も屈辱的なものは、復讐を求めるに値しないと見られることである。(中略) 小犬どもの吠え声を猛獣のごとく泰然と聞き流すのは、偉大で高貴な人である。
嚙みついてくる相手に仕返しをするのは、臆病で惨めな人間の証である。(中略)か弱いものは触られただけで傷つけれたと思い込む。(中略)傷つけた相手は、あなたより弱いのであれば許してやれ。

相手の嫌がるところと自分にとって無害となる一点を突いていますね。小犬と猛獣の例えもしっくりくるものがあります。

ちなみにセネカ先生はこんなことも言っています。

数多の世事に忙殺される者が、人からであれ、仕事からであれ、心を怒りへと向かわせる厄介事が何も起きずに1日を過ごせるような、そんな幸運に恵まれることはありえない。首都の雑踏を急いで行けば、多くの人に幾度もぶちあたり….

この文章だけ切り取って紹介すると、だれも2000年前の話だと思わないですよね。現在とまるで同じです。本質は不変だと分かります。人間模様は紀元前後のおよそ2000年前も今と殆ど変わらないんだなと思ってしまいます。怒りのトリガーとなる出来事が当たり前に毎日発生するのが人生だと認識することで、怒りに対しても少し見方が変わる(=気持ちを抑制できる)きっかけにもなりませんか??

Easy come, Easy goマインドで行きましょう。